自由や自立は残酷という

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経産省の若手の資料「不安な個人、立ちすくむ国家 ~モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか~」が、批判の雰囲気になってますね。

そんな中だけど、私はこの資料を「生活者ひとりひとりが自立しなければならない」というメッセージに受け止め、一生活者として共感している。
昭和の社会システムに不安を感じて自分自身で生きる力をつけないとなーと、今大三島でリモートワークしてる。だから「そりゃそうだ」と素直に思った。

しかし一方で、そういうタイプじゃない人、そういう環境にはない人(経済的や病気など)もいてはる。今と未来の生活の安全・安心が保証されていない中で「自立しろ」は厳しい。また、データ分析不足や、そういう社会を目指すための政策もしめされていないことに激ツッコミされちゃうのもわからんでもないけど。公としてではなく個として発表してたらまた違う反応だったんだろう。

そんなコトをボヤーと感じてたら、こんな記事も目に入ってきた。

自由や自立を求めるのって、実は残酷なんです──為末大×青野慶久「個人の時代への備え」

 

自由や自立が残酷だと考えたことなかったけど、乗り越えるまでは生産性が落ちる(スランプ)になるし、乗り越えられなかったり自立を望まない人にとっては潰れてしまうこともあるだろう。

多様な人生の目標をもった人々が生活する社会の最適なシステムってなんだろう。
「生活者ひとりひとりが自分で自分の人生をデザインできる仕組み」だと思ってたけど、そうじゃない人も、できない人もいるしね。どうしたものかな。

※5/24追記

社会学者の鈴木謙介氏が論点を整理されてる記事を見つけた。

選択肢を理解する――経産省、若手・次官プロジェクト資料について

A.産業構造の変化に抵抗し、誰もが自由で安定した生活を得られる製造業中心の社会を維持する(従来の左派)
B.産業構造の変化を不可避なものとして受け入れつつ、商品化された生活のオルタナティブを目指す
B-1.財政拡張によるセーフティーネットの拡充を目指すリベラル、リフレ左派
B-2.緊縮と規制緩和を通じて、オルタナティブな市民の支え合いを促すリバタリアン左派、サイバーアナーキスト
B-3.緊縮と規制緩和を通じて、人々の自由と自己責任が重んじられる社会を目指すリバタリアン右派、ネオリベ
B-4.大企業への規制強化と移民の権利制限を通じて、自国民の生活を第一に優先する右派・左派ナショナリスト

この資料に対する最初の賞賛的な反応の理由は、「AではなくB」という主張が明確に打ち出されたことにあったのだと思う。

私はもともとはB-2の「リバタリアン左派」だったけど、B-3の「リバタリアン右派、ネオリベ」に寄ってきてる気がする。

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