金曜日はUX KASNAIスタッフとして、Xデザインフォーラムのお手伝いへ。
『「闘争」としてのサービス』著者の京都大学の山内先生と、『UXデザインの教科書』著者の千葉工業大学の安藤先生の講演。
山内先生がUX界隈で、そして安藤先生が関西でお話されると聞いて、超楽しみにしてたフォーラムです。
想像以上に刺激的で面白かった!
が、まとめられるほど理解できていないので、感じたことを垂れ流しに書いてみようと思う。
主客相互性
主客分離ではなく相互主観性のお話は、主体と客体が対峙する図を用いて、主体が客体に汲み取られていると説明いただいた。
相互主観性:主体が客体に絡み取られている
これを私の脳内イメージでは以下のような図になった。
脳内図
コミュニケーションが発生するたびに、主体と客体が混ざり合い、その場のサービスや体験が作られていく。
となると、客体はモノかヒトなど形あるもので、主客の間やその周辺にサービスや体験があるのかな…なんて妄想してたら次の話題に乗り遅れてしまった。
顧客を満足させようとすると、顧客は満足しなくなる
事例には鮨屋を、理論にはドイツ哲学者 F.ヘーゲルの「主人と奴隷の弁証法」をご紹介いただいた。
提供者が客に<笑顔を見せ、心配りし、喜ばせようとする>と、提供者が客に従属する関係となる。
するとサービスの価値が低下するというもの。
客という主体はサービスの結果であって、そのインプットではない。
客を満足させること(だけ)ではなく、客がどういうヒトになるのかが問題である。
つまりは、
サービスデザインとは、客が<ある主体になる課程>をデザインすることであり、(すでに十全な人間として措定された)客のニーズを満たしたり問題を解決することではない。
「ある主体」を、鮨屋でいうと「ベテラン客」、お茶会だと「主客」などの、ある理想像だとする。
ターゲットを設定し、ペルソナを作成したとて、そのペルソナの「ある主体」の設定がされていないのではないだろうか。
結果、提供者が客に従属する関係性であり、さほど価値が高くない(低い)サービスしかデザインできない状態に陥っているのかもしれない。
ビジョンが交わるところ
山内先生は、人間中心設計の全体は主観性(主客分離の関係性)であり、サービスデザインは人間・脱・中心設計(HdCD)であると述べられた。
その後、安藤先生はISO9241−210では目的思考的行動タイプが主でプロセス思考的行動や状態思考的行動があまり考慮されていないことや、”ポスト人間中心デザイン”論の誤解などをお話された。
山内先生と安藤先生のおふたりのお話を聞いて、私の脳内はまた迷走。
鮨屋は最高の鮨を提供するために最高の客を求める。客もベテランのような<ある主体>に憧れる。
一方で、UXDでは「誰を幸せにしたいのか」が前提。
前後には「自分が幸せになることは、誰に幸せにすることか?そして、それは社会の為になっているのか?」も含まれる。
提供者側のビジョンと客のビジョンが交わるところ。そこにサービスの価値がある。ということかな。
「闘争としてのサービス」と「利他的UX」
安藤先生が提唱する「利他的UX」とは、誰かを助けたくなるデザイン。
それは、主体が提供するのではなく客体が助けるデザインと解釈してみた。
とすると、「闘争としてのサービス」と「利他的UX」、主客の関係は近いのでは?と思ってたりもしたんだけど、どうなんだろう?
山内先生と安藤先生のパネルディスカッションがなくなったのは残念だったなぁ…
文化をデザインする
最後に衝撃だったやつ。
社会の限界点としての外部性を、社会の内部に節合していくこと
コレだけ聞くと「?」だけど、私の言葉では説明しきれないので資料から抜粋。
モノやサービスが審美化されていき、一度市場に流通すると陳腐なイメージに同質化される。
ふむふむ。モノやサービスをデザインしてもすぐコモデティ化しちゃうってことかな。
価値の源泉はもはや市場の外にしかない。
おお!市場飛び出しちゃった!
資本主義社会で成功することは、文化や芸術の世界で失敗すること。文化は常に社会の批判として機能してきた。
文化は社会の批判!その文化をデザインしろと。
パンチ力が強いけど、違和感はあまりない。
働き方、人生、教育、そしてサービスにも、様々な分野で画一的ではなく個々のマインドセットに合ったデザインが求められているのは感じていて、それは市場の中で戦っててはラチがあかない感じはする。
だから、会社に縛られることのない活動にも力が入るのかな。(会社も社会の一部なので逃げたくはないけど)
山内先生や安藤先生はもっと違うことをおっしゃってたかもしれませんが、、、私がその時に感じたことの垂れ流しになってしまってすみません。
久しぶりにちゃんと理解できてないくせに、ワクワクする感覚に陥りました。
まだまだ文章にならないモヤモヤが溢れてるけど、考察の続きや整理は人生の宿題にします。
このような貴重な機会をいただき、ありがとうございます!
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